6月 26, 2009

他に聞くべきことがあるだろう

ニュースを見ていたら、マイケル=ジャクソン死去の報。で、暫くすると大臣へのぶら下がり会見でマイケル=ジャクソン死去の件について・・・・・

おいおい、そこで聞くべきことなのかよ(怒

いみじくも万人に開かれているとは言えない記者クラブに属して、しかも総選挙が間近という中でも年金はどうするんだ・北朝鮮とどう対処するんだ・「百年に一度」とまで形容されてる不況にどう対処するんだ・・・・・等々政策課題は少なくないのだから、優遇されている分だけの仕事をしろよ。「貴方とは違うんです」ってくらいの珍言を引き出せとまで贅沢は言わないけど・・・・・


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6月 19, 2009

失敗したら落とし前もキッチリつけろよ>茨城空港サポーター諸君

茨城空港というのは、正直なところ存在意義が見出せない。百里基地の整備拡張に便乗(?)して県が音頭を取っていることだが、その計画ってのが余りにも非現実的過ぎる。

そもそも飛んでいる便からして使えない。札幌・大阪・沖縄に1~2便は飛ばすとか言うのだが、水戸や日立ならまだしも自分が住んでいる土浦やつくば・取手、県西部の古河や結城だったら新幹線や高速バスで羽田空港へのアクセスは充実しているし、空港までの所要時間を勘案しても飛んでいる便数や行き先では余りに彼我の差があり過ぎる。しかし県の事業計画ではその県南西部までもが利用対象地域になっていて、その分までもが利用者数に上積みされているのだから非現実的なのが判るであろう。

何より、茨城それ自体の魅力?と言われて何があるのか思いつくことが出来るのは殆どいないと言う現実もある。過日、「茨城王」の掲示板で話題になった様に茨城から余所の地方へ行っても、自分たちの良さを再認識するだけで何の魅力も無いと自画自賛(?)していた書き込みがあったが、それは裏返すと茨城にやって来たところで、自分たちの故郷のいい所の再認識だけであって茨城ならでは、というものが何も無いということでもある。まぁそれを自覚している上で行動を起こせば、それなりに評価するところがあるだろう。だが、少なくとも現在の茨城空港をめぐる動きを見ていても、その様な自覚の上に成り立っている行動は認めることが出来ない。お偉方を動員しては「利用促進宣言」を出させるとかサポーター団体をぶち上げてイベントでお客様を呼び込もうとしているが、何れにしろ一時凌ぎの域を出ない。そもそもサポーターと言うくらいなら、最初の計画策定時から言うべきことを言い、必要とあれば自らで航空会社とかを起業して(静岡空港では事実そうした)何とか需要を掘り起こす自助努力くらいはあっても良かった筈だが、その様な気配は全く感じられない。これでは仮に赤字が増えて経営破綻となったら、それこそ真っ先に責任逃れになるのは目に見えてきそうである。

まぁ、アシアナ航空がやっと就航してきて一息ついたとこだが、それでもソウルへ週7便程度では余程の価格差でもない限り流石に厳しいのではと思うのだが。以前に一緒に県の担当部署へ訪問した方は、他の地方空港と連合してLCCを設立し、ついでに「HITACHI AIRPORT」に改称してしまえと過激(?)な主張をしているそうだが、少なくとも、茨城からその声が起こるのは途遠しとしか思えない。何しろ前述の「茨城王」の中の人からして、切実な問題を意見しただけで直ぐ出入り禁止する狭量極まりない人物だからなぁ・・・・・


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5月 07, 2009

折角の連休なのに図書館は閉館?

いささか私事になるが、連休中は2・3日と図書館へ行ってきた。で、その図書館の開館状況。

土浦市・・・・・2日は開館・3~6日は閉館
牛久市・・・・・2~6日まで連日開館
つくば市・・・・2~5日は開館・6日は閉館
阿見町・・・・・2・3日と5・6日は開館・4日休館

近隣市町村が開館しているのとは裏腹に、土浦市が殆ど閉館というのはどういうことなのだろうか?日頃仕事だ学校だと忙しい人たちにとっては連休なんていうのは図書館に行くいいチャンスではあるのだし、図書館へ行こうと思わない人でも連休を機会に図書館へ行こうというのは充分考えられる。それなのに、図書館の側が門戸を閉ざしては幾ら図書館の側で利用促進だ情報発信だとやられても、全く意味が無い。

もっとも図書館の専門職員のローテーションとか労働条件何鱈など、図書館の側の事情もあるにはあるのかも知れない。しかし市街地活性化とばかりに新図書館をつくり、尚且つそれを見込んで資料を買い込んでは倉庫に退蔵して使用料を払うことをしたのが土浦市だった。目に見えるハコモノやコレクションばかりに目が向かって、肝心の利用者サービスが置き去りになっている(他の市町村では取り組みが始まっているビジネス支援ですら全く音沙汰無し!)のを見ていると政策の重点の置き方からして間違っているとしか思えないのだが。

そう言えば、かつて市長選に二度出馬した小野治が図書館を(ヨーカドーが撤退したら空くであろう)ウララに移転したら?と提案していた。そうでなくても、既に中心市街地は一棟丸々空きになっているのが珍しくない。市役所その他も全て中心地に移転という小野の主張には同意するが、ならば2年前の市長選でそれを争点にしても良かったのでは?と思いたくもあり・・・・・


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4月 13, 2009

「無所属」に矢鱈幻想を抱かない方が良いと思われ

この度千葉県知事になった矢鱈カルトとかサラ金とか縁の深い元"連合議員"氏「告発しよう」という団体が立ち上がったとか。その中心となっている県議が以前からの知己だったので興味を持って色々調べてみたら、自民党の支部長という立場にあり政治献金も受け取っていた筈が「完全無所属」だの「自民党とは手が切れた」だの選挙中に言っていたことが公職選挙法違反だ、ということである。

確かにズルいという点では同意する。だが、「完全無所属」とまで言わなくてもそもそも「無所属」という言葉に、果たして現実的な選択基準になるのか?と疑問がよぎる。実際のところ「無所属」と新聞で出ていたところで、実際に選挙事務所を訪れれば○○党の国会議員とのツーショットや為書なんて有触れた光景だったりするし、当選した後でもそうした繋がりが日常的になっているのは別段珍しくない。往々にして「無所属」の内実なんてこんなものだ。

仮に百歩譲って、如何なる政党に入っていない・如何なる党派とも関わりを持たないという立場だってあるかも知れない。だとしても現実に政策を作り賛否を表明する以上、何らかの判断基準や価値観(加えて利害)が絡むことは否定できない。限られた予算を福祉に回すか・産業振興に回すかのどちらが好い?というのは必ずしも合理的に決められる性格のものではないし、極論するなら価値判断の論争に帰着してしまう。例え他者から見て無節操だったとしても、当人にとっては当人なりの価値観で一貫していると極論することすらできるのだ。

そもそも・・・・・応援していたのが自民党の県議とか自民党支持の団体だったりして、主張も政策もよく呻吟すれば「完全無所属」というのは看板だけというのは予想がつくのではと思うのだが。


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4月 12, 2009

政局ネタか地域エゴしか無いってのもなぁ・・・・・

我が茨城県では、今年の秋頃に県知事選が予定されている。現職知事は、かのゼネコン汚職で前任が逮捕されての出直し選挙で当選した方なのだが、既に4期16年。長く支えてきた自民党県連もさすがに長過ぎると踏んでなのか、今になって官僚OBを新たに擁立した。

にしても、確かに多選の弊害は肯けるとして、現職知事のダメさ加減って言うのは今の今迄各方面から指摘されていたではないか。「ストップ=ザ=汚職」と大見得切った割に汚職防止策や情報公開も後手後手・医療崩壊や医師不足も緒がついたばかりだし、「産業大県」と大見得を切っていても中身は非正規労働者が大企業の工場で働いていて折しも不況で首を切られている・・・・・既に解かっていたことだ。挙句の果てに茨城空港と外郭団体の運営問題で突っ込みを入れていても、そもそも茨城空港を取材していたブロガーを議員が居眠りしていたとこを写されただけで締め出し食らわすお前が言うな、としか言えないし。

その一方で、現職知事を支持する動きを見ても余りにエゴが出過ぎてる。常陸太田に水戸・茨城・大子に北茨城・東海・・・・・みんな県北か県央じゃないか。しかも地域格差云々とか言っているけど、そもそも現職知事にしてどれほどのことをやったのか?と言いたくなる。大体、県南・県西が恵まれていると言っても、それは県内の比較対照でしかなく、首都圏全体とか関東地方全体で見れば劣っている部分が目立っているのだが。

にしても、政局ネタか地域エゴしか無い県知事選ってのも何か救い様が無いとしか思えない。かの茨城空港のブロガー氏も余りの変化の無さに愛想を尽かしている様だし、これでは「内輪ネタ」で盛り上がるのも無理ないのかなぁ・・・・・


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4月 03, 2009

新図書館は一から仕切り直せ

我が土浦市では、ここ数年もの間図書館を建て替えようという話が持ち上がっていて、そのために準備を進めていたというのだが、資材高騰と不況のダブルパンチで担当部局も無くなりお蔵入りになったということだ。市民団体が数日前に計画推進を陳情したというのだが、正直な話無理筋が多過ぎるという気がする。

そもそも、新たに建物を建てるほどの必要性があるのだろうか。市街地を歩いてみても、閉店した江ヶ崎家具や白石書店のビルなどが一棟丸ごと空きビルとして残っている訳だし、その建物を丸々転用しても少なくとも現在のエレベータすら無い図書館よりはスペースが広く設備が充実しているものが出来る。尤もバリアフリーとかで新たに改造する必要はありそうだが、それとて新築せずとも対応できるものだったりする。

しかも建設を見越して本を大量購入したは良いが置き場に困って倉庫を借りる破目になったという間抜けぶりである。結局、中学校の空き教室に保管して請求するという方法に落ち着いたが、今まで開架式に慣れ切った利用者にとっては面倒な手続きになるのは疑い様がないし、そもそもそれだけ大量の資料を適切にアドバイスできるだけの人材はいるのか?って根本的な問題がある。東京や千葉・埼玉だとビジネス支援とかにも熱心にやっているのが結構目に付くが、筑波学園都市という知的集積が近くにありながらその手の専門的な支援サービスすら無いというのは(庁舎の新築云々よりも)大きな問題ではないかと思うのだが。

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3月 25, 2009

成果主義の行き着く果て或いは日本の技術立国はアメリカの夢を見るか?

自分がよく覗くブログの一つであるkikulogで以前、成果主義はインパクトが強いが故にそのインパクトの強さに慣れると更なるインパクトを追及するようになる、という言説を見てそんなものだなぁとか思っていたのだった(もっとも、それとて虚妄の成果主義―日本型年功制復活のススメ
に書かれていたということの又引きだったので、実際に本を読んでいた自分には断定的に言い難かったということもあるのだが)。

で、最近加藤尚武氏がこう書いている。

【正論】 アメリカ経済の危うい仕組み
いま問題化している大手保険の巨額ボーナスでもわかるように、アメリカのトップクラスでは、「年収1000万円のためなら働かない、ボーナスだけでも1億円以上もらわないと元気がでない」という精神状態になっている。巨額の富をつり上げることが刺激剤(インセンティブ)として使われている。
貧しい人が「チャンスがあれば自分も成功して富豪に」という夢を捨てていないということは、世論調査などでも裏付けられている。所得格差を縮めるよりは、富豪の夢を大きくする方が、社会的な安定に貢献するという体質をアメリカ社会が持ち続けている。

なるほど、中村修二にしろイチローにしろ日本では考えられない報酬を得ることができるチャンスはあるとは言え、実際には大多数が低収入に甘んじているが故に成り立っている。その結果が天文学的な格差とも言えるのだろう。だが、何十年もそれを繰り返している間に皮肉にも「いい仕事をする」=「高い報酬」が当たり前になってしまい、それが経済の不調な今になって社会を悩ませる問題になっているとも言えるのだろう。

尤も、報酬ばかりではなく「名声」という点でも、アメリカでは世界から優秀な人材を引き付けてきた。加藤氏は「貿易収支のバランスを回復すること、資源の浪費体質から抜け出すこと」に加え「社会的な格差を小さくすること」が同時に成功することをアメリカの再建に必要だと言及しているが、少なくともアメリカでの成功が「名声」として評価されている限りは最後の点に関わる高額報酬の問題を解決できる可能性が高いのかも知れない。しかし、日本はどうだろう?技術立国とばかりに技術者や専門家を厚遇しようにも、「名声」として評価されないだけ報酬でのインセンティブに頼らなければならないジレンマに陥ってしまう。しかし、そうなれば今度は天文学的な格差社会だ。それを日本社会がコンセンサスとして受け入れることが出来るのか疑問だし、そもそも技術立国という成功体験が(「ガラパゴス化」と言われている様に)成り立たなくなっている、ソフトやサービスで提供した方がコストの回避に繋がり収入を上げられる、何より医者や弁護士など他の専門職も足りなくなっている・・・・・という課題群を前にして、果たしてアメリカの後追い的な技術立国論が有効なのか?自分には疑問符が尽きない。


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3月 17, 2009

正気ですか?「火の玉教授」

【ウィキペディアのでたらめ】
とくに『発言』の項目がでたらめです。私の発言が悪質に捻じ曲げられているだけならまだしも、この私の発言とやらに自分たちオカルトモドキの反論を載せているわけです。(中略)もちろんウィキペディアの書き換えをやったオカルトはこのような物理学の背景があることなどまったく理解していないのだ。
正直、Wikipediaの編集に携わっていて尚且つ当該部分の編集に関わった一人でもあるし、一方で「悪徳商法?マニアックス」でWikipediaの管理体制に批判的な見方を持っている一人ではあるのだけど、「火の玉教授」氏はWikipediaで編集するなり或いはノートで議論を提起するくらいはできなかったのだろうか?少なくとも保護や半保護されている訳でもないのだから編集は(「火の玉教授」氏も含めて)自由にできるのだし、発言についての不正確さを指摘する程度なら出典の詳細な部分も含めて俎上に乗せてヨリ正確さを期する様にすればいいだけである。

しかし件の記述の正確・不正確さ以上に、以下の部分が見過ごせない。

しかしもはやこれを放置できない。不必要な項目を全面削除して凍結するか項目すべてを削除するかを検討中である。

個人情報のプライバシーの侵害とかじゃなくて、自分に都合の悪い記述があれば途中の議論も抜きに削除って・・・・・どっかの"学位屋"兼業の某カルト集団と何処が違うのでしょうか?そんなことやらかすから、下手に(まともな)疑似科学批判が誤解を持たれてしまうのではと思うのですけど。

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3月 11, 2009

自分たちの"密室政治"を棚に上げて議員定数削減って何様のつもりだろう

県議会の定数を削減しろと市町村長と市町村議会議長が県議会に要求してきたそうだ。彼らに言わせれば合併で議員の数を散々減らしてきたのに県は・・・・・と言うことなのだろうが、しかし市町村議会にして議員定数の効果と呼べるものが自分には思いつかない。

確かにスリムになっただけ経費は削減できたとか意思決定のスピードが早くなったとか、賛成する側は矢鱈削減の"効果"を口にする。だが、往々にして地方議会でこそ情報公開はおろか議員の発言一つとっても不自由だったりもする(水戸市議会では議会の内情をブログに載せただけで懲罰騒ぎにまでなった)し、現実には議論すべきこともされないまま殆ど総与党的に意思決定が行われているのが実情だったりする。その様な中で意思決定のスピードだの言われても空虚な響きにしかならないし、政務調査費ですら情報公開しないまま議員の頭数を減らすだけでは少数意見を"雑音"として排除しようという意図しか見えてこない。

そもそも、こうした議員の定数削減を求めてくる連中は、(今回は市町村長と市町村町議会議長だったが)兎角議会や首長と懇談したり意見交換したり場合によっては下働きの様なことをする団体や区長だったりする。こうした連中との懇談内容とかは(ただでさえ情報公開の遅れている議会と比べても)余り情報が知らされないし、そのために支出される「交際費」ですら殆ど詳細を知らされていなかったりする。それこそ永田町の密室政治よろしくの癒着体制の真っ只中にいる人たちが、自分たちの癒着を棚に上げて議員の数を減らせと言われても説得力を持ち得ない。いみじくも自分たちの"密室政治"を不問にして、(タテマエとしては)オープンな議論の場である議会を小さくするのは本末転倒でしかない。

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3月 10, 2009

「紺屋の白袴」か「百の説法屁一つ」か

以前、大島謙「高校を変えたい!―民間人校長奮戦記」を立ち読みしたことがあったが、違和感を感じるところがあった。大島が三重県の公立校校長だった時分に校内で出すドキュメントの年号表記を西暦にするか元号にするか議論に上ったそうだが、その際「日本の伝統を守る」と大島は元号表記で押し通したと言うことだ。

大島は学校の世界を「異界」と呼びそれを変えた一つの事例として年号表記の一件を挙げたとのことだが、しかし同じ頃三重県では当時の北川正恭知事が(これまた「異界」と言われた)役所の風土を変える一環として公文書の年号表記を西暦に変えたのである。価値観の違いとして切って捨てればそれまでではあるが、しかし現実には役所の世界でこそ元号表記に拘る姿勢が強いとも言われ、グローバルと言われている企業でさえ(大体において西暦を使用しながらも)役所に提出したり国内向けの公式発表では元号を使ったりする。教員の世界が一つの「異界」であることは否定はしない。だが、大島のやったことは、「異界」のルールを別の「異界」のルールに置き換えただけの、本質的には何も変わっていない行為ではないだろうか。

いじめ撲滅の集会で「いじめは必ず解決できる!」と自慢げに断言していながら、その足元での苛めに全く気がつかず自殺者を出してしまったというニュースを見ていてこの違和感が改めて頭を過ぎったのであった。

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«昔の岡引きも「犬」と呼ばれてたけど・・・・・