成果主義の行き着く果て或いは日本の技術立国はアメリカの夢を見るか?
自分がよく覗くブログの一つであるkikulogで以前、成果主義はインパクトが強いが故にそのインパクトの強さに慣れると更なるインパクトを追及するようになる、という言説を見てそんなものだなぁとか思っていたのだった(もっとも、それとて虚妄の成果主義―日本型年功制復活のススメ
に書かれていたということの又引きだったので、実際に本を読んでいた自分には断定的に言い難かったということもあるのだが)。
で、最近加藤尚武氏がこう書いている。
【正論】 アメリカ経済の危うい仕組み いま問題化している大手保険の巨額ボーナスでもわかるように、アメリカのトップクラスでは、「年収1000万円のためなら働かない、ボーナスだけでも1億円以上もらわないと元気がでない」という精神状態になっている。巨額の富をつり上げることが刺激剤(インセンティブ)として使われている。
貧しい人が「チャンスがあれば自分も成功して富豪に」という夢を捨てていないということは、世論調査などでも裏付けられている。所得格差を縮めるよりは、富豪の夢を大きくする方が、社会的な安定に貢献するという体質をアメリカ社会が持ち続けている。
なるほど、中村修二にしろイチローにしろ日本では考えられない報酬を得ることができるチャンスはあるとは言え、実際には大多数が低収入に甘んじているが故に成り立っている。その結果が天文学的な格差とも言えるのだろう。だが、何十年もそれを繰り返している間に皮肉にも「いい仕事をする」=「高い報酬」が当たり前になってしまい、それが経済の不調な今になって社会を悩ませる問題になっているとも言えるのだろう。
尤も、報酬ばかりではなく「名声」という点でも、アメリカでは世界から優秀な人材を引き付けてきた。加藤氏は「貿易収支のバランスを回復すること、資源の浪費体質から抜け出すこと」に加え「社会的な格差を小さくすること」が同時に成功することをアメリカの再建に必要だと言及しているが、少なくともアメリカでの成功が「名声」として評価されている限りは最後の点に関わる高額報酬の問題を解決できる可能性が高いのかも知れない。しかし、日本はどうだろう?技術立国とばかりに技術者や専門家を厚遇しようにも、「名声」として評価されないだけ報酬でのインセンティブに頼らなければならないジレンマに陥ってしまう。しかし、そうなれば今度は天文学的な格差社会だ。それを日本社会がコンセンサスとして受け入れることが出来るのか疑問だし、そもそも技術立国という成功体験が(「ガラパゴス化」と言われている様に)成り立たなくなっている、ソフトやサービスで提供した方がコストの回避に繋がり収入を上げられる、何より医者や弁護士など他の専門職も足りなくなっている・・・・・という課題群を前にして、果たしてアメリカの後追い的な技術立国論が有効なのか?自分には疑問符が尽きない。
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