「紺屋の白袴」か「百の説法屁一つ」か
以前、大島謙「高校を変えたい!―民間人校長奮戦記」を立ち読みしたことがあったが、違和感を感じるところがあった。大島が三重県の公立校校長だった時分に校内で出すドキュメントの年号表記を西暦にするか元号にするか議論に上ったそうだが、その際「日本の伝統を守る」と大島は元号表記で押し通したと言うことだ。
大島は学校の世界を「異界」と呼びそれを変えた一つの事例として年号表記の一件を挙げたとのことだが、しかし同じ頃三重県では当時の北川正恭知事が(これまた「異界」と言われた)役所の風土を変える一環として公文書の年号表記を西暦に変えたのである。価値観の違いとして切って捨てればそれまでではあるが、しかし現実には役所の世界でこそ元号表記に拘る姿勢が強いとも言われ、グローバルと言われている企業でさえ(大体において西暦を使用しながらも)役所に提出したり国内向けの公式発表では元号を使ったりする。教員の世界が一つの「異界」であることは否定はしない。だが、大島のやったことは、「異界」のルールを別の「異界」のルールに置き換えただけの、本質的には何も変わっていない行為ではないだろうか。
いじめ撲滅の集会で「いじめは必ず解決できる!」と自慢げに断言していながら、その足元での苛めに全く気がつかず自殺者を出してしまったというニュースを見ていてこの違和感が改めて頭を過ぎったのであった。
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