ニュース

2009/06/26

他に聞くべきことがあるだろう

ニュースを見ていたら、マイケル=ジャクソン死去の報。で、暫くすると大臣へのぶら下がり会見でマイケル=ジャクソン死去の件について・・・・・

おいおい、そこで聞くべきことなのかよ(怒

いみじくも万人に開かれているとは言えない記者クラブに属して、しかも総選挙が間近という中でも年金はどうするんだ・北朝鮮とどう対処するんだ・「百年に一度」とまで形容されてる不況にどう対処するんだ・・・・・等々政策課題は少なくないのだから、優遇されている分だけの仕事をしろよ。「貴方とは違うんです」ってくらいの珍言を引き出せとまで贅沢は言わないけど・・・・・


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2009/03/10

「紺屋の白袴」か「百の説法屁一つ」か

以前、大島謙「高校を変えたい!―民間人校長奮戦記」を立ち読みしたことがあったが、違和感を感じるところがあった。大島が三重県の公立校校長だった時分に校内で出すドキュメントの年号表記を西暦にするか元号にするか議論に上ったそうだが、その際「日本の伝統を守る」と大島は元号表記で押し通したと言うことだ。

大島は学校の世界を「異界」と呼びそれを変えた一つの事例として年号表記の一件を挙げたとのことだが、しかし同じ頃三重県では当時の北川正恭知事が(これまた「異界」と言われた)役所の風土を変える一環として公文書の年号表記を西暦に変えたのである。価値観の違いとして切って捨てればそれまでではあるが、しかし現実には役所の世界でこそ元号表記に拘る姿勢が強いとも言われ、グローバルと言われている企業でさえ(大体において西暦を使用しながらも)役所に提出したり国内向けの公式発表では元号を使ったりする。教員の世界が一つの「異界」であることは否定はしない。だが、大島のやったことは、「異界」のルールを別の「異界」のルールに置き換えただけの、本質的には何も変わっていない行為ではないだろうか。

いじめ撲滅の集会で「いじめは必ず解決できる!」と自慢げに断言していながら、その足元での苛めに全く気がつかず自殺者を出してしまったというニュースを見ていてこの違和感が改めて頭を過ぎったのであった。

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2009/02/27

昔の岡引きも「犬」と呼ばれてたけど・・・・・

悪徳商法マニアックスで知ったネタ。


Human Pet Interaction Platformの構築

今回は猫を対象として、生活の様子や感情を発信するためのブログ自動生成モジュール、twitter[1]自動投稿モジュールなどを開発する。ブログに投稿するデータは猫に装着した首輪型デバイスを用いて収集する。集めたデータから、「他の猫と遭遇した」、「喧嘩した」、「近所の家でおやつをもらった」、などの特殊なイベントを抽出してブログに投稿する。猫のブログを見た飼い主が喧嘩を労ったり、食事量を調節して健康管理に勤めたりすることで人だけでなく猫もより幸せになり、Human-Pet Interactionが実現する。また、本システムは個人所有のペットだけでなく、動物園などでのエンターテイメントシステムとして応用できる。更に、希少な野生動物の保護や生態観察などに活用可能である。

こういうの見ていて、googleストリートビューの大騒ぎを思い出すのは自分だけなのだろうか?知らぬ間に自分のやる事為す事が全てブログに書かれていたら、それこそ気味悪さを感じるのは間違い無いだろうに。いや、ブログならまだしも、例えばこれが監視カメラ宜しくとばかりに「安全・安心の社会作り」って美名で行われていたら、正直身の毛の弥立つ思いがする。

そう言えば・・・・・かの中村敦夫氏が、「地球発21時」で警視庁の方に「理想と考えている治安体制は?」と質問したら、「100人足らずの同心・与力で何十万人の町民を取り締まっていた江戸時代の治安体制」と答えていたそうだ。それとても、種を明かせば岡引きやら下引きなどの下請けがいて(しかもそれは時としてアウトローが担っていたりする)、人別帳と五人組で管理と相互監視が厳しく布かれていたが故の"治安の良さ"であった訳だが・・・・・

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2009/02/24

アカデミー賞の無言の意思表明

正直な話、自分は映画については余り興味がある方ではない。映画館に足を運ぶことはここ20年くらいないし、時たまテレビ(地上波orCATV)で既に評判になっている映画を見る程度である。だから、そういう"偏見"を交えているという前提で以下の話を読んで欲しい。


アカデミー賞の『おくりびと』の受賞は唐突だった。確かに日本国内では結構面白いって評判があり、先に発表された日本アカデミー賞でも最優秀作品賞をはじめあまたの部門を総浚えする勢いだったのだが、それでも(カンヌやベルリンなら兎も角)アカデミー賞というアメリカ国内向けの賞で評価されるかというのは別の問題である。一応モントリオール世界映画祭で最優秀にはなtっているものの、それでも他の候補作と比しては"小物"という印象が拭えない。

事実、海の向こうのマスコミでも今回の受賞は意外なものだと受け止められたらしい。大方の予想ではイスラエル映画『戦場でワルツを』が"本命"視されていたらしく、ロイターに言わせれば番狂わせの勝利だった様だ。

その『戦場でワルツを』と言うのも実際のところ1980年代にレバノンに侵攻したイスラエル軍の残虐行為を掘り起こす一種のドキュメンタリーであり、それだからこそ各方面から絶賛されたとも言える。しかし、それを押しのけてでも敢えて「おくりびと」にオスカーを与えたハリウッドを見るに、何か無言の政治的なメッセージを感じ取らざるを得ないのは自分だけだろうか?それは今も続いているパレスチナへのイスラエルの武力行使への抗議かも知れないし、僻んだ見方をすれば(アメリカの政権中枢と兎角親しいと言われる)イスラエルの"暗部"を追及するなという圧力なのかも知れない。が、少なくとも何かの無言のメッセージであることは予想がつくだろうし、近年の邦画のハリウッドによるリメークを見る様に、邦画もそうした政治力学やビジネス戦略と無縁であると決め込むことはできなくなっていると自分には思える。


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2007/11/30

朝日より産経が詳しく取り上げる慰安婦決議

自分も購読しているAML経由で知ったのだが、

カナダ、慰安婦決議を採択 日本政府に公式謝罪要求(産経新聞)

採択された決議は、慰安婦について「強制的な売春システムにおける日本帝国軍隊の関与に対しての全面的な責任」を認定した。その上で、「被害者全員に対して、議会において公式、かつ誠意ある謝罪の表明」を日本政府に要求している。

慰安婦問題に対する日本国内の反論に関して、決議は「慰安婦の性的奴隷化と人身売買に対する否定論者」への封じ込めを求める条項も盛り込んだ。

ちなみに、この件については朝日新聞でも毎日新聞でも報じている。が、強制的な徴用の事実認定や政府への公式謝罪の要求に加えて、日本国内で強く支持されている「従軍慰安婦や強制連行は存在しない」にも強い法的な対処を行う姿勢を見せたという事実・言い換えるならヘイト=クライムと看做すこともある、という事実を報じているのが何と「反日」に兎角敵愾心剥き出しの姿勢をとる産経だったというのはどういうことなんだろうか?もっとも産経としては、購読者層の多くを占めるであろう保守や右翼に格好の「燃料」を提供して、って言うことはあるのだろう。にしても、本来ならこうした従軍慰安婦や強制連行に徹底追及の姿勢を見せていた(少なくとも少し前はそうだった)朝日や毎日では何の言及も無い。まさかと思うが電凸とかを恐れて"自主規制"しているのか、それとも「戦後レジームからの脱却」の時流で不感症になったのか!?!?果てさて。

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2007/11/23

「3丁目の夕日」の内実は

『ビックコミック・オリジナル』で連載されている「3丁目の夕日」が、結構ヒットしているという。自分も10年以上も前に『ビッグコミック・オリジナル』で連載されていたのを立ち読みしていた経験があり、駄菓子屋とかが出てくる場面(そう言えば、映画でも舞台回しとして中心的な存在だったのだが)とかは、自分が通っていた小学校の光景を想起するところだ。

が、「3丁目の夕日」の描写しているのは良く言えば「いい思い出」・実も蓋も無いことを言うと「フィクション」でしかないということに、どれだけの観客が気づいているのだろうか?折も折『朝日新聞』が指摘していたが(既にWebからは消えていた。残念)、現実には「3丁目の夕日」が描写していたほど空も水も綺麗ではなかった。排ガス規制も無く下水道の整備も進んでいなかった時代、空が青いのも澄んだ川もCGの世界の話でしかない。ついでを言うなら、「3丁目の夕日」の後の時代の事件の印象が強い水俣病、その被害が拡大してしまうのもこの時期である。映画の舞台となった1959年には新日本窒素(当時)が患者に見舞金を些少ながら支給しているし、申し訳程度の対策を講じながらも水俣工場ではメチル水銀を排出し続けていたのだ。

話はこれに止まらない。災害対策や安全対策もまだまだ進んでいなかった。この年には伊勢湾台風が中部地方に上陸し、現在から見ても甚大な人的・物的被害を齎した。前後して横須賀市の国立衣笠病院が全焼し、妊婦や新生児が焼死した。治安に目を向けてみても小松川高校殺人や雅樹ちゃん誘拐殺人が起こり、少年凶悪犯の検挙数も現在と比べて多いという事実は意外に知られていない。「3丁目の夕日」の牧歌的な光景も、一つ裏側に回ればとんでもなく凄惨な現実が待ち受けていたのである。

世間では「3丁目の夕日」のヒットからか、その頃の時代を現在と比べて良かったかの様な回顧的な言説が流行っている。「いい思い出」として個々人が抱くのならまだいい。しかし、それによってフィクションと現実を取り違えてしまうのは、変な副作用を齎しはしないだろうか?後藤和智が「3丁目の夕日」の少し後に起こった少年による殺人事件を引いて「俗流若者論」の間違いを指摘しているのを読みながら、自分はそう考える。

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